たたむ、はじめる

認知症になった義父の会社を畳んだ記録と、その後

通帳を黙って持ち出しました——認知症の義父の金を、私たちはどう扱ったか

会社の支払いのために、通帳と印鑑が必要でした

義父の異変に気づいたあと、私たちは受診の段取りと並行して、もうひとつのことを進めていました。通帳と印鑑の所在を確かめることです。

会社には、毎月、支払いと入金があります。業務上、すぐに通帳と銀行印が必要になりました。近隣の仕入先に対する支払いは、小切手を手渡していたので、預金残高をすぐに確認しておく必要がありました。小切手が換金できなければ、そこで会社が終わってしまう可能性があります。

通帳も印鑑も、会社にありました

通帳と印鑑はすぐに見つかりました。義父の机の引き出しの中と、金庫の中にありました。大切に保管されていたというよりは、雑多な書類などと一緒にそこに放り込まれていた、という印象でした。

会社の通帳は複数ありました。困ったのは、どれが生きていて、どれがもう使っていない通帳なのか、見ただけでは分からないことです。会社にある通帳を全部探し出し、銀行を回って一冊ずつ記帳してみました。それでようやく、生きている口座が三つあると分かりました。

ただ、これで全部だと思っても、まだ出てきます。後日、長く使われていない口座がもう一つ見つかりました。定期預金も、銀行で一つ存在が確認できたので、これで全部だと思っていたら、後日、普通預金の残高が五十万円増えていて、何かと思ったら、もう一つ定期預金をしていて、期日が来て普通預金に入ったのでした。

通帳を探す過程で、義父個人の通帳も三つ出てきました。義父の通帳も、義父の銀行印も、会社にありました。印鑑は、会社も義父個人も、銀行印と実印が同じものでした。これは、義父に聞いて分かったことです。

探したもの、出てきた場所、見つからなかったもの

会社で探したり、出てきたりしたものを並べると、こうなります。

•      会社の通帳、印鑑、キャッシュカード

•      各種暗証番号

•      定期預金の書類

•      借り入れの書類

•      義父と社員の生命保険の証券

•      火災保険の証券

•      複合機のリース契約書、車のリース契約書

•      事務所と工場の賃貸契約書、駐車場の契約書

•      会社が持っていた、ある企業の株の関係書類

•      会社の決算書、定款、株主総会の議事録

•      ゴルフ場の会員権(これはとうの昔にゴルフ場が倒産していました)

•      信用金庫の出資証券

義父個人に関係するもので探したものは、こちらです。

•      通帳、キャッシュカード

•      各種暗証番号

•      マンションの権利証(義母名義だった)

•      生命保険の証券、火災保険の証券

•      個人での借り入れの書類(これはありませんでした)

これらのものは、一時に全てを探していたわけではなく、何かを探しているうちに、こんなものがあったのかと予期せず見つかったものもあります。また、期間も、義父の通院開始と同時期にこれらの作業を始めていますが、これらの書類を探し出し、各種契約内容が明らかになるまでには、十二月まで、約三カ月かかりました。

出てきた場所は、会社の机の引き出しと金庫、事務所のキャビネット、それと自宅の机の引き出しです。書類はおおむね然るべき場所に保管されてはいましたが、中身の整理は全くされていませんでした。

キャッシュカードは一枚も出てきませんでした。そもそも発行していない口座もあり、発行したはずのものは紛失していたようです。必要なものは、銀行で手続きをして再発行してもらいました。なぜカードを作っていない口座があったのかは、分かりません。

大変だったのは、探すことよりも選別のほうです。書類は大量にありました。しかも、期限の切れた契約、返済の終わった融資の書類も、生きている書類と区別なく保管されていました。一枚ずつ中身を読んで、これは今も有効なものか、もう終わったものなのか判断していかなければなりませんでした。この作業に多くの時間を取られました。

借入については、契約書類を読んだだけでは、生きているもの、終わっているものが判然としませんでした。銀行の通帳を記帳して、借り入れの返済を探して、生きている書類を推測しました。決算書はありましたが、それが正確である保証がなかったので、正確な情報を得るには通帳の数字から追うのが確実でした。

会社を漁ったのは私で、自宅を漁ったのは妻と義妹でした。探していることを、義父には知らせていません。義父のいない時間にやりました。疑われるのが嫌だったからです。

後ろめたさはありませんでした。ただ、義父に隠れてやったのは、自分のしていることが法的に正しいとは言い切れない、と分かっていたからだと思います。

暗証番号は、本人に聞きました

会社の口座の暗証番号は、義父に聞きました。何度か聞いても答えが返ってこない日が続きました。ある日、義父は急に番号を口にしました。銀行で試すと、その番号で合っていました。

そして、義父に黙って、だめでもともとで義父個人の口座でも同じ暗証番号を試してみたら、それも合っていました。義父の郵便貯金は、キャッシュカードがなくても通帳と暗証番号で入出金ができたので、キャッシュカードの発行手続きはしませんでした。

ゆうちょとは別の義父個人の銀行口座は、会社と同じ銀行にありました。義父は会社の借入の連帯保証人でしたので、二十万円ほどあった残高は、会社が破産したときに全額、銀行に取られてしまいました。会社と同じ銀行に個人の口座を持っていると、こういうことが起きます。

義母についても少し説明しておくと、義母は認知症ではありませんが、義父同様に高齢で、もう、複雑なことを考える力はありません。歩行も困難な状態で、移動には車いすを使っています。

その義母の銀行口座についても、同時に確認しました。義母の口座の暗証番号は、義母に聞きました。二つのうち一つは聞いたものが合っていて、一つは分かりませんでした。分からないほうの口座は、残高がほとんどないうえ、使う予定もないので、今も手つかずで、お金を引き出すことはせず、記帳だけしています。

義母の印鑑は、どれが銀行印なのか分からず、それが判明したのは、ずっと後のことでした。

義父の収入は、年金だけでした

通帳を見て初めて分かったことがあります。義父の収入は、年金しかありませんでした。

会社は、会計上は義父の報酬を計上していましたが、実際には義父に報酬を支払っていませんでした。私が会計処理をしたわけではないので確証はありませんが、報酬が帳簿に載っているのに現預金の支出がないので、税理士が義父から会社への貸付金として処理したのだと思います。その貸付金が、決算書では一千二百万円ほどになっていました。義父は、自分の報酬を非常に低い水準にしていた上に、十年近く、自分に報酬を払っていなかったと推測されます。

この頃には、会社のお金と義父個人のお金の区別が、義父の中ではつかなくなっていたようです。会社の現金が減っていても、何のための支出か分からないことがありました。それで私は、義父が会社の現金を持ち出すことも、会社の口座からお金を引き出すことも、できないようにしました。

ただ、それを止めた以上、義父の生活が立ち行かなくなっては困ります。義父が個人でどれだけのお金を持っているのかを知っておく必要が生まれました。年金の振込額は、思っていたよりあり、正直、ほっとしました。

通帳を、黙って持ち出しました

きっかけは、お金が消えることでした。

ある日、義父が、事務所と工場を借りている家賃を大家さんに支払いに行く、というので、私が会社のお金を義父に渡したことがありました。そのお金は、紛失して、その後、出てきませんでした。このことは、後日、大家さんから家賃をもらっていないと言われて判明しました。

また、義父にお金が必要だと言われて、妻が三十万円を渡したことがありましたが、それも、何に使ったのか分からないうちに全額なくなってしまいました。二週間後に、また三十万円が必要だと言われ、前の三十万円が何に使われたのか妻が問いただしましたが、義父は、そもそも以前に三十万円を受け取ったこと自体を覚えていませんでした。そして妻は、また三十万円を渡したのですが、それも何に使われたのか分からないまま、全額なくなってしまいました。

この頃の私たちは、義父の認知症がどこまで進んでいるのか、そもそも認知症とはどういうものなのか、知識がまるで足りていませんでした。そのために無駄にしたものが、いくつもあります。義父母のために買ったのに、食べられないまま傷んでしまった食品、処方されたのに飲まれなかった薬、以前の記事「あのとき見逃していたサイン」に書いた補聴器も、買って一年ほどで使われなくなりました。無駄になったのはお金だけではありません。時間も、労力も、そこから来る精神的な疲労も同じです。

このようなことが続き、私は、義父に通帳を持たせておくことは義父にとって危険だと判断しました。十二月に、私は、会社にあった義父の通帳と印鑑を、自宅に持ち帰って妻に渡しました。会社の金と手形と通帳と印鑑も同様に十二月に自宅に持ち帰り、こちらは私が保管しました。誰にも相談せず、私の独断でしたが、妻も義妹も、反対しませんでした。迷いはありませんでした。

義父に説明して預かる、という選択肢は検討しませんでした。義父にそのようなことを言えば、自分で管理すると言うに決まっている、と思っていたからです。せっかく入ってきた年金が、使途不明のままなくなってしまえば、義父と義母の生活が成り立たなくなってしまいます。そうなる可能性は、非常に高いと考えていました。

ひとつ、はっきり書いておきます。この時点で、妻はまだ義父の後見人ではありませんでした。十一月に、妻と義父のあいだで任意後見契約は結んでいました。ただしこの契約は、家庭裁判所が任意後見監督人を選ぶまで効力が生じません。その手続きをしていなかったので、契約はあっても効力がない状態でした。妻が家庭裁判所に選任されて正式に成年後見人になるのは、このあとのことです。つまり私たちには、義父の財産を管理する法律上の資格が、まだありませんでした。

なくしたと思わせたままにしました

通帳を持ち出した後、義父は、通帳を探した様子も、誰かに聞いた様子もありませんでした。持ち出してからほどなくして、会社は債務超過のまま廃業しています。一月初めに取引先と従業員に廃業を伝え、一月末に対外的に廃業、四月に破産を申し立てました。廃業は事業をやめること、破産は裁判所の手続きで会社の債務を清算することで、別のものです。義父は、通帳や財産はそのときに取り上げられたと思ったのかもしれません。

当時も今も、義父は「お金がない」と言い続けています。義母も、お金があるはずなのにない、と言っています。義母は、義父が相当なお金を持っていると思い込んでいたようです。会社が破産したあとは、会社が倒産したからもう全部ないよ、と伝えてあります。

通帳をなくした、または、借金のかたに取り上げられてしまったと思わせたままにした理由は単純です。失くしたと思っていれば、私たちが持っているとは思われないからです。そのほうが好都合でした。

今振り返っても、仕方がなかったと思っています。別の方法は思いつきません。ただ、人に勧められるやり方ではありません。

義父の金は、自分のものにしない

今、義父の生活に必要なものは、義父のお金を使って買ったり、支払ったりしています。私たちの財布と義父の財布とは分けています。義父の年金は、義父と義母の生活費で使い切ってしまうので、義母の年金から補填しています。私たちも個人的に義父のためにお金を使って請求しないことが多いです。

妻が、正式に義父の成年後見人になってからは、年に一度、入出金の明細を裁判所に提出しなければならないので、義父のために使ったお金のレシートや領収書は全て保管しています。

もう一度同じ立場になったら

最初にやることは決まっています。商工会議所に相談して、弁護士を紹介してもらう。義父を病院に連れて行く。決算書と現預金を把握する。請求と入金と支払いを確認する。これらのことを同時に進めます。

弁護士は本当に助けになりました。破産の申立てについては、私は弁護士に言われたことを指示通りにやっただけです。そして、その弁護士につないでくれたのが商工会議所でした。商工会議所に相談していなかったら、何をすればいいのか自分たちでは分からなかったと思います。商工会議所との相談を取り付けたのは妻でした。

甘かったと思う点を書いておきます。ひとつは、最初に会社の再生を考えていたこと。もうひとつは、もっと早く義父の会社に関与するべきだったこと。

そしてもうひとつ。義父には、過去にさかのぼって給与を払っておけば良かったと思いました。これが適法かどうかは弁護士に聞いてみないと分かりませんが、義父に過去の未払いの報酬を払って、そのうえで必要に応じて預貯金を引き出しておけば、今後の義父の生活を少しは楽にできたかもしれません。

先に書いたとおり、暗証番号を早い段階で聞き出せたのは良かったと思います。あのとき聞き出せていなければ、義父の口座に残っているお金を動かせるようにするのに、また苦労したでしょう。

義父の自宅のポストを開錠する番号は、後々まで分からず、届いた郵便物をポストから出すのに苦労したこともありました。

義父に聞いて答えが返ってきたのは、あの時期が最後でした。半年後なら、たぶん答えは聞けなかったでしょう。

親の会社に何か起きていると感じている方がいたら、決算書を見せてもらうより先に、暗証番号を聞いておくことを勧めます。会社の支払いなどの作業を手伝う機会を作ることができれば、うまく聞き出すことができるかもしれません。